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パラダイムシフト-9 スイッチオン・以信得入

 9・スイッチオン・以信得入

電気文化の普及は簡単なスイッチオンがキーポイントでした。霊気文化の日蓮仏教も簡単な以信代慧・以信得入がポイントです。


 そこで、スイッチオンに比した信心について、南無の三義で考えてみます。
1、南無し奉れ妙法蓮華経に
2、南無し奉る妙法蓮華経に
3、決定の南無妙法蓮華経 (けつじょう)


1は、法界に溢れる霊気の本仏から、大衆に対する哀愍救護(あいみんくご)の呼びかけ(仏所護念)であり、 
2は、凡夫が本仏に対して、救いを求める信心(いのり)となります。
3は、両者の想いがピタリと一致した、感応道交の妙で、「是人於仏道 決定無有疑」と神力品偈文の示す所です。


「読み書きの出来ない者も、信じて従えば功徳あり」(南条殿御返事趣意)
「少児を養う乳・栄養・エネルギーとなるお題目」(曽谷入道殿御返事趣意)
「日本国の一切衆生の盲目を開ける功徳あり、無間地獄の道を塞ぎぬ」                                (報恩鈔)


で、盲目(元品の無明)を開けるのは、上行所伝のお題目以外には無く、 


 「宝塔品に云く「接諸大衆皆在虚空」云云。此等の仏、菩薩、大聖等、総じて序品列坐の二界八番の雑衆等、一人ももれず此御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて本有(ほんぬ)の尊形(ぎよう)となる、是を本尊とは申すなり。」 (日女御前御返事)

と、

「その信心に依って自身の仏性が覚醒し、次いで行学の二道(信仰生活)は起こる」(諸法実相抄趣意)とお示しです。

パラダイムシフト-8 日蓮聖人の意図された、教団のシステムと目的

8.日蓮聖人の意図された、教団のシステムと目的

 このことから、本門の戒壇につて、祖書に求めると、

  
 「今経の受職潅頂(かんちよう)の人に於て二人あり、一には道(どう)、二には俗なり。道に於て復(また)二あり。一には正しき修学解了の受職、二には只信行の受職なり。俗に於ても又二あり。道に例して知んぬべし。比丘の信行は俗の修学に勝る。又比丘の信行は俗の終信に同じ。俗の修学解行は信行の比丘の始信に同ず。何を以ての故に、比丘能く悪を忍べばなり。又比丘出家の時分受職を得。俗は能く悪を忍ぶの義ありと雖も受職の義なし。故に修学解了受職の比丘は仏位に同じ、是即ち如来の使者なればなり」 (得受職人功徳法門鈔)

 

 このように、日蓮教団に於いても、電化社会と同じ役配が予想されていました。


1,弟子・お題目の霊気(人類の絶対価値)・法則の研究・システム化・霊流・「内に智慧の弟子ありて仏法の深義を悟り」 
2,檀那・霊気を霊流化し、霊光・霊力となって救済活動する。「外に清淨の檀越あって仏法久住す」
3,大衆・霊光・霊力を享受し、「資生産業 皆順正法」して、明るい生活を営み、社会は安定化して立正安国の実現を見ます。


 最早(もはや)葬式仏教は、商業に侵掠されており、宗教の真面目(しんめんもく)を再起動する時かと思われます。

 

 日蓮が弟子檀那の仕事(仏願仏業)を、もう少し検証しますと、

イ、道・修学解了の比丘 ・教団の役員・首脳陣は・司令塔の役目を果たし


ロ、道・ 信行の比丘・住職等教師は布教の尖兵として・教団の手足となって働きます

 ハ、俗・修学解行の檀徒・全国寺院組織の役員幹部としての役割を果たし

ニ、俗・ 信行の信徒・清浄の徒として生きます

 

組織には2.6.2(パレート)の法則があるようです。


 国民成人の2割(各界の指導層)が、日蓮仏教に目覚めて生命活動(本化菩薩集団)をすれば、6割がその光明と動力に靡(なび)いて、社会は健全に廻り、他の2割も余慶の功徳に預かります。

パラダイムシフト-7 血脈相承(けちみゃく そうじょう)

 7.血脈相承 (けちみゃくそうじょう)


 電気の通り道は電線で確認出来ますが、お題目・霊気の通り道は見えません。霊なる所以(ゆえん)です。しかし、日蓮聖人は確かな筋道があると、「生死(しようじ)一大事血脈鈔」にお示しです。


 「生死一大事血脈とは、所謂(いわゆる)妙法蓮華経是なり。其の故は釈迦、多宝の二仏、宝塔の中にして、上行菩薩に譲り給ひて、此の妙法蓮華経の五字、過去遠遠劫(おんのんごう)より已来(このかた)寸時も離れざる血脈なり。

(中略) 

  然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ、全く差別なしと解りて、妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。此事但だ日蓮が弟子檀那等の肝要なり。法華経を持つとは是なり。


(中略)


  過去に法華経の結縁強盛なる故に、現在に此の経を受持す。未来に仏果を成就せん事疑ひあるべからず。過去の生死、現在の生死、未来の生死、三世の生死に法華経を離れ切れざるを、法華の血脈相承とは云ふなり。

 

 謗法(ほうぼう)不信の者は「即断一切 世間仏種」とて、仏に成るべき種子を断絶するが故に、生死一大事の血脈これなきなり。

 


  総じて日蓮が弟子、檀那等、自他、彼此(ひし)の心なく水魚の思ひを成して、異体同心にして、南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべきものか。剰へ日蓮が弟子の中に異体異心の者これあれば、例せば城者として城を破るが如し。

 


  日本国の一切衆生に、法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに、還つて日蓮を種種の難に合せ、結句此の島まで流罪す。而るに貴辺日蓮に随順し、又難に値ひ給ふ事、心中思ひ遣られて痛ましく候ぞ。


 (中略)


  過去の宿縁追ひ来つて、今度日蓮が弟子と成り給ふか。釈迦、 多宝こそ御存知候らめ。「在在諸仏土 常与師倶生」よも虚事候はじ。

 

 殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり。貴し貴し、此の文委悉(いしつ)なり。能(よ)く能く心得させ給へ。只南無妙法蓮華経、釈迦、多宝、上行菩薩血脈相承と修行し給へ。


 火は焼き照らすを以て行と為し、

 水は垢穢(くえ)を浄(きよ)むるを以て行と為し、

 風は塵埃(じんない)を払ふを以て行と為し、又人畜、草木の為に魂 となるを以て行と為す。

 大地は草木を生ずるを以て行と為し、

 天は潤すを以て行と為す。

 

 妙法蓮華経の五字も又是の如し、本化地涌の利益(りやく)是れなり。

 
  上行菩薩末法今の時、此の法門を弘めんが為に御出現これあるべき由、経文には見え候へども如何が候やらん。上行菩薩出現すとやせん。出現せずとやせん。日蓮先づ粗(あらあら)弘め候なり。 

 

 相構へ相構へて強盛(ごうじよう)の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。生死一大事の血脈、此れより外に全く求む ることなかれ。

 

 煩悩即菩提、生死即涅槃(ねはん)とは是なり。信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり。」

 


と、本仏釈尊から、本化上行菩薩、その応現身日蓮聖人、そして日蓮聖人の弟子檀那へと霊流して、教団を囲む大衆を裨益((えき)するシステムです。その上、日蓮教団の使命のヒントも示されました。

 

 このように現代人が享受している電化生活のシステムと、日蓮仏教の三大秘密の法とは、構造が酷似していました。
 電化生活に親しんだ現代の法華信徒なら、三大秘密の法は信解し易く、イメージ化出来そうです。

 

 天台大師も法華弘通の肝要として、初めから理屈で押すのでは無く、先に霊験奇跡を見せてからにせよと教えています。


 「この法を説かんと欲して、先に神力を以て駭動(がいどう)するが故に、一切の自在の神力と言う。既に変通を見て、醒悟、渇仰すれば、為めに教えを説くことを得。」 (法華玄義)


 日蓮聖人の弘通は、、霊験奇跡の連続で、其の地が現在、霊蹟本山等として顕彰されています。

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