善慶寺に住職して間もなくの事。深夜の夢に、井上ひさし氏の吉里吉里王国で有名な浜辺から、小舟に乗せられた仏像が、漕ぎ出す風景が浮かびました。吉里吉里湾を横断して、山田町の船越・湾台に降りて、龍王寺に行列を組む処です。
(Google Gemini にて画像作成・夢とは少し違うが・・・)
その後、岩手県宗務所から、龍王寺代務住職就任の依頼がありました。善慶寺も小寺で運営も大変ですが、これは、夢の先触れがあり、避けられない事かと承諾しました。
筆頭総代の菊池孝進氏に、夢の話をすると、「稚児行列で、それはそれは大層賑やかだった。お寺は小ぶりながら、総ケヤキ造りで、8尺の木彫り龍神像が祀られておった。戦時中、塩焚き人夫の宿舎に提供中、火災に遭い全焼。国から保証金が出たが、出来上がったお寺は、以前の物とは違っていた。」と述懐。
お堂の屋根は隙間だらけで、仏像は風雨に晒されて傷みが酷く、国宝修理を手がける仏師に依頼。仕上がった仏像を祀る為に、北上市に土地を求め、家を建てて、「龍王寺北上布教所」としました。それは平成11年11月の事。
(龍王寺北上布教所外観)
(北上の祈願祭で)
令和7年6月8日に、法嗣の惠導師と住職交替して、私達夫婦が北上市に居所を移しました。
(住職交替式・龍王寺檀徒の皆さん)
家屋敷のローン返済が終了したので、是れを(宗)龍王寺に寄進し、事務所を山田町船越から、北上市に移転すべく、包括法人・日蓮宗の承認を経て、岩手県知事の認証申請中です。この登記が済めば、北上市に始めて日蓮宗寺院が誕生します。
(写真 母親 ・ 息子)
布教所に母子二人の肖像画2額が掲示してあります。
昭和初期・龍王寺を建立する為に、自分の土地を売却し、その資金でお寺の用地を購入して、お寺に寄進したのです。龍王寺にとって掛け替えの無い方なので、永く顕彰する為に私が貰い受けました。
(龍王寺の祖師像)
仏師談。使用の鑿(のみ)の削り跡から、この祖師像は、安土桃山時代以前の物と判明しました。
天文法難以前には、法華寺が全国に7万ケ寺在ったと言われています。明治の廃仏毀釈でも、多くが廃棄されたと思われますが、残されたその内の1体かと思われます。
次男の自坊・茨木市の妙徳寺。長女の嫁した・東京都北区の妙見寺。次女の嫁した・千葉県の長遠寺。それ等の祖師像3体の、大きさ、形像、色彩が、龍王寺の祖師像と良く似ており、奇遇です。








