2016年3月22日 三浦恵伸(えしん)日常
近影
信行道場
帰山式
宗祖700遠忌管内法要 出仕
50年間を回顧して連載します。
龍王寺復興に関わる事になったきっかけからです。
S42,3,19 熊本県球磨郡免田町《合併「球磨郡免田町→球磨郡あさぎり町」》から、岩手県釜石市の仙寿院住職・芝崎惠璋猊下に入門。
(釜石駅前に起立していた、釜鉄の巨大煙突群)
(切り絵・松本寛章氏)
突然、何をしに東北の地に来たのか? テーマとなりました。
すぐに因縁が出始め、大変な毎日。師範猊下のみが、見放さずに側に止めて頂き、正に「能忍・仏の別称」でした。
東京で立正大学に通う20歳の頃、霊夢。
日本刀と直刀の抜き身が、ギラリと並び立ち、次に「三浦大納言時光」の文字。
これは日本史上・公武対立の問題。しかし、三浦氏に大納言は出ていません。裏の歴史と感じ、以来、供養を重ねました。
写真は、銀杏(熊本)城 天守閣 武者返しの石垣登り、やはり途中まで・・・中1の頃。
自分で試したいタイプ? 昔は自己責任で、色々緩かった。今は監視されているし不可能です。
下は、長男・惠導・熊本地震の前
書籍には載らない出来事も、アーカシック レコード(虚空の記録・現代クラウドのモデル)からの放映(カラー・音声説明付きテロップ)で、色々と知り得ました。
現地調査をすると、その通りです。今思えば丸腰(無防備)で戦地に赴くような事でした。返り討ちに遭い、心身はズタズタにされました。
自分で試してみたいタイプなので。
身に染みて、自分の使命を知らされました。
このブログに、記していきます。
免田での事。母に「釜石に行った方がよいか?」と尋ねると、母は、
「行きない。坊さんは停年の無かし、歳を取るほど光って来るから」と、流しで米を研ぎながら、背中越しに答えました。
(切り絵 松本寛章氏)
最初にカテゴリー毎の一覧をアップし、その後少しずつ開示して行く予定です。