遠忌法要-3
600遠忌 三浦大納言時光公
R4.2.10が、三浦大納言時光公、65歳の600遠忌です。
妻・子息、皮膚病で亡くなった娘。眷属・刀剣則光、牛馬等の供養を奉行しました。
遠忌法要-3
600遠忌 三浦大納言時光公
R4.2.10が、三浦大納言時光公、65歳の600遠忌です。
妻・子息、皮膚病で亡くなった娘。眷属・刀剣則光、牛馬等の供養を奉行しました。
遠忌法要-2
450遠忌 善慶寺開基因縁 S62.10.18
住職して間もなくの夢です。境内山の斜面に、桑の大木が8本在ります。(昔はお蚕をかっていたようです。)夫々に大蛇がドクロを巻いていて、私はゾッとしました。
ここからは現実です。深夜二階で休んでいると、階下を多くの霊達が徘徊し、二階を伺う殺気を感じる毎日が続きました。下の檀徒・佐藤サトさんに話すと、このお寺の因縁話が明らかになりました。
そこで、婦人部で千粒団子をこさえて、師範猊下を大導師として迎え、施餓鬼大法要をし、3年かかってようやく治まりました。
丁度、開基因縁の霊位が450遠忌に当たって居ました。
宗祖700遠忌と併せて、開基120年誌を発行しました。
遠忌法要-1 50遠忌 太平洋戦争敗戦50周年犠牲者慰霊法要
夏の暑い日でした。お昼頃、居間で寺族と談笑中の事、私の後頭部に突然、氷水を浴びせられ、衝撃が走りました。チアノーゼになり、海老(えび)のように身体が硬直して身動きが取れません。
家族は総立ちになり、救急車を呼ぼうとしています。私は「此れは水で冷たい思いをして亡くなった犠牲者だ」と直感しました。そこで「判った、判った」と指でVサインを立てると、「ピンポーン・正解」と反響がありました。
玄関のチャイムが同時に鳴ったのです。小枕の大屋敷の娘さんでした。
「自分が幼い時に、父が南方の船で玉砕したそうです。今日は供養の申込に来ました。」
「お父さんが今お寺に来て居ますよ。先触れがあって、お父さんと同じ苦しみを味わいました。」
「そうだったんですね。有り難う御座います。」
私の母の兄・仁田原恵王師(長崎市・久本寺第6世)も、シナで戦病死しています。檀信徒中にも多くの犠牲者があります。
善慶寺で角塔婆を建立し、有志者で霊位を記入して、法要を営みました。