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史跡慰霊-5 油谷町 安倍氏館

史跡慰霊-5 油谷町 安倍氏館

 

山口県油谷町で御守護神(倶生霊神尊)のご加護

 別の夢です。細い道を辿ると、奥に3階建て程の木造建築物があります。いつものように音声付きテロップで、

  

「安倍晋太郎の生家である。戦の時は城代わりに使った」と流れてきました。

  

 安倍家は山口県の方ですが、どこの市町村かは知りません。調べると日本海に面した油谷町、今は長門市です。

  

 山口県に出講の折、空港から小郡に出て、日産レンタカー・グロリア?で、秋芳洞に寄り(熊本での修学旅行以来)一泊して、件の道を探し求めると、夢通りに車で通るにはギリギリの狭さです。しかも今は両脇がブロック塀でしたから尚更の事です。奥にワンピースを着たご婦人が居て、夢の話をすると、「昔、在りましたよ」と返事が来ました。かつてそこは醤油屋やさんでした。

  

 晋太郎氏の没後で、墓参し東家で長文の記帳をして萩市に移動。タクシーで2時間ほど観光しました。

 

 最後に萩焼窯元1番卸屋の座敷に行くと、畳の二間に茶碗類が・・「どれでも手にとって見て下さい」と女将。見回すと棚にあった黒塗りの小さな茶碗が私を呼びます。畳の上で手に取るとスーッと両手に馴染み、違和感無く収まり、薄手で得も言われぬ心地良さ。「いいですね」と言うと、「三輪休雪(人間国宝)の作品です。どうぞ持って行って下さい」と女将。あまりの高値に断念しました。ドライバーと好物のうどん屋に寄ってタクシーと別れました。 

 

 瀬戸内側に戻るべく、国道を右折する交差点であると、分かっていながらスルーしました。次左折し又左折すると、行き止まりです。「何かあるな」と思い、焦らずに元の交差点から右折して、県境に近づくと救急車が萩方面へ急行しました。パトカーも数台出て片側通行です。行く方がマークIIで、飛び込んで来た萩方面行きの車がクラウンでした。前面が大破で湯気が立つホヤホヤの大事故です。 

 

 御守護神(倶生霊神尊)が時間差で除けて下さったスルーかと納得し、感謝しました。出来事は、時空の一致点に発生します。今回、空間は避けられないので・・1本道ですから。

史跡慰霊-4 盛岡 衣川

史跡慰霊-4 盛岡 衣川

 

 盛岡市・安倍舘 此処で安倍氏は滅びました。遺児が津軽へ落ちて、安東氏になったと言われて居ます。

 宗任公は捕縛され京都へ。有名な詩を詠み、都人に驚愕された由。その後讃岐に流罪。一族における九州や長州の祖となったようです。

姫は奥州・平泉・藤原の室となり、観自在王院を建立したとの事。

                             

 身延山第3世の日進上人は、安倍氏に所縁の方のようです。日持上人が大陸伝道に向かったのには、安東氏の手づるがあったのかも知れません。

 

 

衣川 

         

  

 安倍一族はこの地で80年間栄えました。奈良の明日香と同じで、何処を掘っても遺跡なので、むやみに建造物は出来ないようです。

 

初めて訪問した時に、数名で高台に聳える、国民宿舎・衣川荘に泊まりました。

(切り絵・昇天・松本寛章氏)

 

   深夜の夢に、霊の集団がドーナツ状に、衣川荘を取り囲みました。

「長い時間、待って居たぞ」と、言っているようでした。

村に点在する安倍氏所縁の各所を、懇ろに慰霊して歩きました。

史跡慰霊-3  秋田県 生保内  

史跡慰霊-3 秋田県 生保内

    

 

合戦時に、婦女子を匿った地で、命を保つ内。ひっそりとしています。

津軽の旅の2日目に、秋田の史跡巡りがあります。

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