List by category:Protected:From electrified to spiritualized, a societal paradigm shift
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1)3 Aspects of One Body
2)The Life of Nichiren
3)Three Secret Laws of Nichiren Buddhism
4)Four kinds of virtues (paramita)
5)From electricized to spiritualized society
The Electricized System
6)A system for spiritualized transcendence
7)Heritage of the Ultimate Law
8)A religious organization system outline and program based on Nichiren’s purpose
9)the on switch based on the 3 principals that form the inter east
10)Treatise on All Phenomena as Ultimate Reality
11)Steps for achieving world peace
史跡慰霊-10 隠岐の島・瀬戸内の村上神社(水軍)
史跡慰霊-10 隠岐の島・瀬戸内の村上神社(水軍)
村上氏所縁の人と3名で、隠岐の島と瀬戸内海の村上神社に詣でました。
隠岐の島には、後鳥羽帝の陵と、別の島に後醍醐帝の行在所跡が在ります。
行く事が決まり、隠岐の島に在る、日蓮宗寺院の老僧に、その旨電話をすると、「三浦君、岩手からわざわざ何をしに来るの?」
その老僧は、自坊を後継者に譲り、悠々自適を擲って、単身、後鳥羽帝の菩提の為に島に移った方でした。
そして、私の叔父の、長﨑市・久本寺歴世・仁田原恵王師の立正大学時代の友人でした。叔父の入寺式には参列して法話をされた由。窮乏の時代でしたが、叔父が「お前には特別ご馳走を用意しといた。」と言っても白米の事でした。
関門大橋の袂の宿で、甲府の兄・苅込義宗師と老僧と3人で泊まり、大橋を眺めながら色々と談義をした事もありました。
さて、代々、後鳥羽帝の墓守りを、宮内庁から依頼されている、村上助九郎氏には、喜んで迎えて頂き、陵の中まで入って拝ませて頂きました。2重3重の結界がしてあるのです。
その時に、台風19号で、大杉が多数折られてしまった事を聞かせて頂きました。
鎌倉期か、村上家の初代に、福岡県八女郡の星野家から嫁しています。私の母方は、八女の星野氏族と思われます。仁田原氏です。
その夜は、老僧も交えて、村上家の奥様もお揃いで夕食会でした。
老僧は、「わしはもう何年も此処に居るが、まだ陵の中に入って拝んだ事は無い。三浦君は今日来て直ぐに入れてもらえるとは?」
と、少しご機嫌が斜めでした。
史跡慰霊-9 吉野山
史跡慰霊-9 吉野山
善慶寺に住職して数年後に、桜の名所・吉野山に行きたいと、急に思い立ちました。
釜石駅前に在った、東急観光のSさんに、「急で申し訳ないけど、吉野山の桜を見れますか?」
何とか工面をしてホテルを手配して貰いました。ところが、出かける時に胸騒ぎがしました。
「この旅は吉か凶か?」調べると、真っ暗でした。恐ろしくなり、キャンセルしました。
Sさんのお怒りは、相当でした。
秋に、所属の団体で、京都に研修旅行が組まれました。その日は、當山の御会式に当たっていました。悩みましたが、立場上断れずに参加しました。
その足で、春に断念した吉野山にも向いました。一人では心細いので、道連れを一人誘いました。
あの山は、徒歩では無理です。タクシーを借り切って山々を巡ります。後醍醐帝の行在所跡の神社等々。
楠木正成公の子息が出陣の時に、扉に辞世の句を刻んだ観音堂を拝し、裏山の後醍醐帝の陵を参拝して降りて来た時です。もの凄い死臭の毒気に中てられて、卒倒しそうになり、もう参拝どころではありません。時間前でしたが宿に駆け込み、連れは放って、自分で布団を敷き、コンコンと寝入ってしまいました。
吉野山は日本史上、戦禍に血塗られた山です。
春に一人で来ていたらと思うとゾッとしました。
反省点は、供養を積む前に訪れた事でした。
秋の御会式は、10月の第3日曜日と定めて来ました。いつも日和が良く、爽やかな行事でした。処が、住職の都合で、突然予定を変更したのです。霊界でお手配をして戴いて来たことが、狂ってしまいました。
変更した日は、何と、青森県のリンゴが全滅した、台風19号が岩手県の太平洋沿岸にも大被害を与えたのでした。お昼に用意した弁当が全部残ってしまうほど、誰も参詣出来ない大暴風雨でした。
もうそれに懲りて、痛く反省し、「霊界でのお手配を無にしての、我が儘はもう致しません。」お詫びをし、年間行事の日程変更は厳に慎んで居ます。
隠岐の島に詣でた時に、墓守の村上助九郎氏が、「その台風で、後鳥羽上皇の陵の真上に台風の目が来て、墓陵周囲の大杉を軒並み、なぎ倒した」と言って居ました。