法話-4 白粉(おしろい)の力
立教開宗750の意義 ○○寺 お会式法話
H12・ 三浦恵伸 30分
・妙法尼御前御返事 1313頁
「白粉(おしろい)の力は漆(うるし)を変じて雪の如く白くなす、須彌山(しゅみせん)に近づく衆色は皆金色なり。法華経の名号(みょうごう)を持つ人は、一生乃至 過去遠遠劫(おんのんごう)の黒業の漆、変じて白業の大善となる。」 日蓮大聖ご在判
・このご遺文は、法華経御題目の不思議を、おしろいの持つ力に譬えて、妙法尼にお示しになったものです。
色の白いは七難隠す、私が小学生の頃、ほほ と 首の色が、鮮やかに違う先生がおられまして、子供心に大変印象に残りました。
今日は・・寺様のお会式、目一杯美しく飾って「お祖師様のお陰でこんなに幸せです、有り難う御座います。」というお気持ちで、ふだんよりも4~5回多く、パタパタとおしろいを重ねて、お見えになったことがありありと伺えまして、皆様本当にいつもよりもお奇麗です。
◆ S7に山田町に生まれた、64歳の安倍信一さん。元々病弱でいじめられっ子、人が相手にしてくれませんから「丈夫にしてもらいたい」と・・近くの 八幡様にばっかり通いました。
17歳の時、板前の道に進むことになり、ボストンバックに包丁1本・丸首のシャツ一枚で、北は小樽市から南は静岡県の清水市まで渡り歩き、盛岡でおかあちゃんを見つけて連れてきて、地元の料亭で2人で働いておりました。
30代のこと、千葉県の佐倉市に働きに行って3年目の夏に、体調を崩し、病院を転々として、最後は盛岡の医大に入院。まさか自分がと、思いもよらぬこと、それは難病に指定された《血小板減少性紫斑病》でありました。お医者様は診断は下していても、重病であることを、その時は教えてはくれませんでした。
◆ 胃ケイレンのような、体が引き裂かれるような痛さ。毛穴からブツブツと血が吹き出ては全身に溢れ、それが止まると、造血剤のような ヌルヌルしたものを、血管注射で打たれます。ある時は間違って コバルトグリーンポール というものを皮下に打たれ、それが腐って 穴がたちましたが、先方が悪いとは絶対に云いません。まるでモルモットでありました。
夜は犬が遠吠えをして心細く、看護婦さんが本をもってきては、枕元で読んで聞かせ、自分を寝かせつけてから休んでおりました。
意識不明になると酸素があてがわれて、頬を叩かれ、
「安倍さん頑張れよ 自分たちも頑張るからな」・「今奥さんが山田から子供を連れて来るぞ」
危篤の知らせに、乳飲み子は背に結わえ、急ぎ駆けつけて、哀れな姿の夫が横たわるベッドに取りすがり、上の子の、いまだ紅葉のような小さな手を、夫婦の手と手でしっかり挟んで、今こそ最後の別れとばかりに、
「おとうちゃんだよ、これがあんたのおとおちゃんだよ」と 泣き叫ぶ妻の姿に、看護婦さんたちも貰い泣きをしたことでございました。
◆ いよいよ目からも瀧のように、ダラダラと出血し、その古血が残って化膿しました。お医者様は
「目玉を取ってから義眼をいれると窪むから固まってから入れよう」
と言いましたが、「いや 臭くて臭くて、痛くて痛くて」1日中男泣きに泣きました。そしてとうとう S54・7完全に両目の光を失ってしまったのであります。(44歳位の時のことでした)
目玉を取ってからも県立宮古病院・盛岡の医大・日赤に通います。40歳を過ぎて急に訪れた暗闇の世界、案内人を伴う余裕とてなく。道なき道を 手探りで歩かざるを得ません。行き交う人や自転車・看板等にぶつかり、いろんな人に迷惑をかけては、人もいない、あらぬ方向を向いて、頭を下げ下げ、謝って歩きました。勿論、体には生傷が絶えません。
◆ 妻が腎臓かっけで母乳をやれないときも、本来ならば働き盛りの男が、当時360円の粉ミルクさえも買えませんでした。そんな時も年老いた父は黙って働きミルクを買って育ててくれました。
病院代にも困り、とうとう家屋敷を手放すことになります。事務長が「安倍さん」
といって毎晩請求に来ます。隣のベッドのおやじさんが
「金が無いから払えないんだろ情けが無いのか」
と言ってくれたので、今度は家に請求に行ったのでしょう。
父は、「パチンコでさえ財産をなくす人もある。俺はお前を助けるために手放すんだ。間借りをすると家賃に困るから」
と、15坪だけ屋敷を残して、傾いた小さな家に住んでいました。自分がこうなってしまって妻にも子供にも、皆に苦労をかけてしまったことがとっても申し訳ない思いでした。
「助けてください、助けてください」ずっーと蹲(うづくま)り消え入るように祈って暮らす日々で御座いました。
◆「見えぬ手で つくりし鉢に 紅梅の 薫る部屋にて 独人耐え居る」
このころ、暗闇のどん底に喘ぐ、安倍さんをかいま見た、福祉の沢田チヤさんの詩。
人は相手にしてくれなくても、植物は人を嫌いませんでした。
S26~7年から盆栽を始め、多いときは1500鉢・S35に産経新聞社が取材に来た時は800。さつきの苗木から始めて、松 雑木・草花。大作大物盆栽。
S45 目が見えなくなって来て、「小品盆栽にしたら」と言われて始めたところ、全盲者のモノとは思えない見事な風格の作品を、一目見ようと全国各地から人が訪れて来るようになりました。
S46 釜石で日本盆栽協会支部会員の認証式があり、釜石・大槌・山田で結成して入会し、その時称賛され、仙台市での東北大会に出品する程に小康を得て参りました。
◆ 長年病院生活をし、不治の病から救われ嬉しかったお礼という気持ちで、S50からは、八幡神社や町内のお寺さんに植木を寄進し続けてきました。
法華さんにもと思っていたところ 、住職の友人を通じて話がまとまり、H3からさつき、梅・桜・白花の萩・紗ドーダンつつじ・臥竜梅・金銀木犀・草花など、本格的な銘木ばかり沢山お山に植えて戴いたのであります。
やがて、この倶生霊神符(お守り)も家族で受け、H8/11「今度 清道衆講習会で、新間先生のお話がある」と聞けば、 食事やトイレの心配も仲間の人が手をかしてくれて、有り難く拝聴し、そして
「ああ このお寺様に来て、お祖師様に お題目を唱えるということは、死んでしまったあの優しかった父と母に会いにくることなんだな 」と、自分なりに悟ったことであります。
◆ 「南無妙法蓮華経 ! 南無妙法蓮華経 ! 」
こうして、無邪気なお題目が本堂にこだますることとなったのであります。H9/4/28の春の大祭では、安倍さんの一際大きなお題目が印象的でありました。
何も難しいことは分からない、安倍さんの但信口唱のお題目は、ストレートに日蓮大聖人のみ心に叶っていました。安倍さんは夢で日蓮大聖人様に面奉したのです。
太平洋の水平線を昇る、深紅の大きな太陽(こどもの頃、イカ釣りを手伝いに行った時に、船で見たものと同じだった)は火柱となるや、南無妙法蓮華経の髭題目に変わり、今度はそれが、わらじ履きで、右手に尺丈を持ち、大数珠を首に掛け、太い眉毛で、頭には白髪交じりの初老の日蓮聖人となり、安倍さんの前にお立ちになって、ニッコリとほほ笑んで下さいました。
2日後にまた夢を見ました。住職と2人で道を歩いていると、鉄で出来た大きな門があり、住職が押すと訳けなく開きます。恐る恐る入って見ると、明るい世界と、暗くじめじめしたコールタールのような、重くて臭い ネバネバした、一時もそこには居れないような世界。
明るい方は、軽やかで 爽やかに彩られた 花から花へ、透明な蝶々が ふわりふわり と 遊んでいる、 何とも言えない あまーい空気のする 世界でした。
「安倍さん、いつまでもここにはおれないから、もう帰ろう」とお上人が言ったので帰って来た。との報告。
◆ H9/7/13 日本晴れの日曜日 善慶寺のレクレーション・大型バスで岩手山登山。翌年からは、あの騒ぎで近付くことも出来ませんが・・ 住職が7合目から携帯電話をお寺にいれると、安倍さんが急に霊界に旅立ったとの知らせ、
「たとえ葬儀は他宗であろうとも、あなたの死後の旅立ちは、この日蓮が引き受けたから安心しなさい」
と、お祖師様がシグナルを送って下さっての夢であったと、改めて確信を深めました。
◆ お気づきのように、大聖人様は太陽の子・日輪の日なのです。そして題目の髭は寿量ご本仏様の功徳に溢れた霊光を意味していますし、身延山に在します大聖人様のお墓をご存知でしょうか、そのお墓には何と刻まれています、「日蓮の墓」ではありません。「南無妙法蓮華経」であります。「日蓮が魂は南無妙法蓮華経に過ぎたるはなし」でイコールなのです。また、それは大聖人だけではなく、私たちもそうなのだとお示しで御座います。
安倍さんにとって、人生のきわまではありましたが、このような有り難い霊夢により、心の闇を晴らし、真(まこと)の仏道に縁を持てたことは、この方の御霊(みたま)の長い長い悠久の旅路に、大きな光明となり、真(しん)の安心を得られたことと、私もかかわった者として安堵いたしております。
これからは、いつもお花の季節になると、安倍さんがお寺の上空から眺めていることでしょう。また見る人の心にお山のお題目・日蓮聖人様と共に、永遠に安倍さんが生き通して行くのです。
上・下 臥竜梅
躑躅(つつじ)
◆ 1253 建長5年4月28日の明け方・今の千葉県安房郡清澄山頂・旭が森から、日蓮大聖人がおひとりで御題目を唱えになり、太平洋上に昇る旭日遙拝の儀式。これは、仏留め置きたもう 妙薬の五字七字を、この国に広め、 世界平和の基地造りを、この日本国に興すという宣言でありました。
◆ 仏教には・釈迦仏教(慧解脱)と日蓮仏教(信解脱)しかありません。他は似て非なるもの。メッキかバーチャルリアリテイーであって、実仏ではありません。
苦のない人・・いますか・・ 「何故私ばかりこんなに苦を・・」 皆そう言います。
「この幸を何に使ったら良いか」という相談事はこのお寺だけです。よそのお寺では未だかっておめにかかれない。
苦の正体が分かって、そこから抜け出すことを解脱という。その手段として智慧を磨いていくのが慧解脱であり、この線に引っかかる人は殆どいない。99%がこぼれる。苦から逃れられない。よってまがい物がはやる。人類はその歴史だった。
本当の仏は釈尊の他にはありません。その御心は法華経に留められ、末法に入って上行菩薩がこの世に生まれて、法華経の中から妙薬を拾い出して、迷える衆生に授け救う。という法華経の預言を実践してくださったのが、日蓮大聖人でありました。
これは仏願仏業を果たす・起業・
信解脱とは 例えば JRが開発した 夢の超特急の安全性と快適さを信じて乗り込むこと。苦心に苦心を重ねた研究陣と全く同じ恩恵に預かれますよね。どのような仕組みで走っているのかなど考えて乗ってる人はあまり無い・・同業者か落語家くらいなもの ・・(ネタにするので) 。皆同じ時間に着きます。信じないで乗れない人は歩く他ありません。
「初めは日蓮一人唱えしが・・二人三人続けよかし・・」
日蓮聖人に繋がる御題目は、「行者が破ろうとしても、御題目の方が破らない。必ず仏の目的を果たす力がこもっています。」これは つたない私が唱えているのではない、実仏である 御題目 が私の体を使って唱えて居られるのだ、ということであります。
実際に光を無くし、生きる力もなくした安倍さんではありましたが、あの様に、現世安穏・後生善処を保証して下さるという事実を以て、日蓮仏教の空しからざることを信じ抜かねば成りません。
◆最近の世界のルールは拝金主義です。皆、山羊にでもなるところでしょうか。我が国も教育改革が頓挫しています。知識の詰め込み以前に、情緒の安定がその基礎として必要なのです。
25歳の若い夫婦が、4歳の幼気ない娘の前で、他の異性に走るべく別れ話をし、
「相談なんだよね,相談なんだよね・・」
と、心配をさせている。全くデリカシーのない話ですが、かといってこの2人は悪人でもない、つまり幼稚なのです。物が溢れ心が闇に覆われているという、まことに憂うべき事態を迎えています。
また、21世紀は、本質の時代とも言われています。本仏・本法・本師・本化・本国土が顕れてくるということです。本来のこの日本国には、世界平和実現の為の基地となる使命があるのです。
既に750年前、日蓮大聖人はこのことを見通され、道をつけて残して置いて下さっていたのです。その為の立教開宗だったのです。この意義をご住職とよくよく吟味されまして、来る立教開宗750慶讃年には、日蓮大聖人の御心に叶う地湧の菩薩の一分として、ご住職を助け、御題目を唱える同志の更に溢れんことをご祈念して結びと致します。
・御清聴ありがとう御座いました。
・お題目三唱