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ひと口説法-5 猫の恩返し(日蓮宗新聞)

ひと口説法-5 猫の恩返し(日蓮宗新聞)

 

 當山で、彼岸やお盆の施餓鬼会に参加しては、多くのご先祖に、塔婆供養を重ねて来た老婆Sさんは、国道45号線沿いに民宿を営んでいました。

 

 Sさんは、行き交うトラックなどに轢殺された猫の遺骸を見捨てて置けず、丁寧に葬っては當山で塔婆供養をして来ました。幾体もです。

 

 ある冬の寒い日、来山しての事。「お上人さん、今朝、明け方夢を見ました。私が狐の首巻きの様なものをして温もっています。でもよく見ると猫だったのです。」

 

 私はこう応えました。「鶴の恩返しならぬ、猫の恩返しですね。Sさん」

 

「そんな事があるんですね」

 

 日蓮聖人は、「丈六の卒塔婆をたてて、其面に南無妙法蓮華経の七字を顕しておはしませば、北風吹けば南海の魚族(いろくず)その風にあたりて大海の苦しみを離れ、東風きたれば西山の鳥鹿その風を身に触れて、畜生道を免れて都卒の内院に生まれん」(中興入道消息)

と、卒塔婆供養の功徳を述べておられます。

 

岩手県布教師会長・善慶寺住職・三浦恵伸

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひと口説法-4 慰霊と復興への道(日蓮宗新聞)

ひと口説法-4 慰霊と復興への道(日蓮宗新聞)

 

「幽霊を見た」「亡くなった家族に会った」。東日本大震災の被災地では、震災直後から現在までこういった声がよく聞かれます。

 

ある日、3・11後にできた仮設中学校に赴任した女性からそのような相談を受けました。その校舎の西側に整地されたグラウンドは、かつて震災犠牲者の遺体安置場所でしたので、供養を行う事にしました。

 

 その時に女性と「犠牲者の御霊を追い払うのでは無く、安心を与えるための供養であること。残念の御霊は、子どもたちの未来に後事を托すしか無いが、今の教育は知識の詰め込み偏重なので、御霊が安心するように、子どもたちの魂の育成に心がける」ことを話し合いました。

 

 塔婆を認め、供物と自我偈・唱題・回向の醍醐味を捧げ終わると、その女性から「心と体が軽くなり、楽になりました」と言われました。

 この世もあの世も、日蓮聖人のお題目の光と力に依ってこその、安全・安心の道であるとの体信でした。

 

岩手県布教師会長・善慶寺住職・三浦恵伸

H26.12.10 掲載

 

 

PDF原稿一覧表

タイトルをクリックすると原稿が見れます。

 

1,文字タイムス原稿・すぐ切れてしまう子供たち

 

2,タイムス原稿・架空の仏と現実の仏

 

3,よろこび原稿・H24年8月号お盆法話

 

4,よろこび原稿・カナヅチ

 

5,よろこび原稿・慰霊と復興への道

 

6,よろこび原稿・貞任祭

 

7,よろこび原稿・懺悔

 

8,経王殿御返事

 

9,情報社会と宗教機関

 

10,日蓮宗新聞・お彼岸法話

 

ひと口説法-3 電化から霊化社会へ(日蓮宗新聞)

ひと口説法ー3 電化から霊化社会へ(日蓮宗新聞)

 

 20世紀は、簡単なスイッチオンだけで、闇夜と徒労を打破する電化生活の普及期でした。しかし、この国の幸福感は今イチで、異次元の光明と動力源が渇望されます。

 

 それは鎌倉期、宗祖日蓮聖人の三大誓願(我れ日本の柱・眼目・大船とならん)とその方途、三大秘法として、既に準備してありました。

 

 本門の本尊・お題目の光明(霊光)で心の闇を照らして、自身の仏子を開悟(自体顕照)し、

 本門の戒壇・佛國土建設に、向かわずには居られない(霊力)、と言う本化菩薩集団が高次の光と力を社会に発揮します。

 本門の題目・そのアクセスは簡単で、心のスイッチを妙法蓮華経(霊気)にオン(南無)し、口唱するだけで、ご本仏の守護を得て安全・安心裡に生活するシステムです。

 

 この不思議な霊化生活を、先ず日本国に実現し、世界に普及するのが21世紀・日蓮教団(僧俗)と日本国民の使命です。

 

岩手県布教師会長・善慶寺住職・三浦恵伸

H24.11.20掲載

ひと口説法-2 ブランド(日蓮宗新聞)

ひと口説法-2 ブランド(日蓮宗新聞)

 

 土壌汚染・食品偽装等の問題で、我が国では中国製アレルギーが強い一方、彼の国の富裕層には日本製の信頼度が高い様です。

 

 made in nippon(日本製)と言えば、日蓮聖人が鎌倉幕府を三諌された「立正安国」の建国運動こそ、日本が世界に誇る国造りのモデルでした。

 

 人類が希求する世界平和には各国の安泰が、その為に家庭や各組織の健全が、その基盤には、個人の確固とした自立(心柱・見識)と、共生・総和の慈悲心(大船)が必要です。

 

 「皆本仏の愛子を旨に、先ずこの日本国を浄土化して、世界に国家のブランドを発信する」と言う、本師・釈尊と、本化上首・日蓮聖人の思し召しです。

 

 本より人類・生命は本仏製。本化菩薩衆(日蓮が弟子檀那・日蓮教団)の仏事マネージメントは充分でしょうか?

 

岩手県布教師会長・善慶寺住職・三浦恵伸

H22.11.20掲載

法話-4 白粉(おしろい)の力

法話-4 白粉(おしろい)の力

 

立教開宗750の意義  ○○寺 お会式法話 

H12・ 三浦恵伸  30分

 

・妙法尼御前御返事 1313頁
 「白粉(おしろい)の力は漆(うるし)を変じて雪の如く白くなす、須彌山(しゅみせん)に近づく衆色は皆金色なり。法華経の名号(みょうごう)を持つ人は、一生乃至  過去遠遠劫(おんのんごう)の黒業の漆、変じて白業の大善となる。」                       日蓮大聖ご在判
・このご遺文は、法華経御題目の不思議を、おしろいの持つ力に譬えて、妙法尼にお示しになったものです。


 色の白いは七難隠す、私が小学生の頃、ほほ と 首の色が、鮮やかに違う先生がおられまして、子供心に大変印象に残りました。

 今日は・・寺様のお会式、目一杯美しく飾って「お祖師様のお陰でこんなに幸せです、有り難う御座います。」というお気持ちで、ふだんよりも4~5回多く、パタパタとおしろいを重ねて、お見えになったことがありありと伺えまして、皆様本当にいつもよりもお奇麗です。

 

◆ S7に山田町に生まれた、64歳の安倍信一さん。元々病弱でいじめられっ子、人が相手にしてくれませんから「丈夫にしてもらいたい」と・・近くの 八幡様にばっかり通いました。

 17歳の時、板前の道に進むことになり、ボストンバックに包丁1本・丸首のシャツ一枚で、北は小樽市から南は静岡県の清水市まで渡り歩き、盛岡でおかあちゃんを見つけて連れてきて、地元の料亭で2人で働いておりました。


 30代のこと、千葉県の佐倉市に働きに行って3年目の夏に、体調を崩し、病院を転々として、最後は盛岡の医大に入院。まさか自分がと、思いもよらぬこと、それは難病に指定された《血小板減少性紫斑病》でありました。お医者様は診断は下していても、重病であることを、その時は教えてはくれませんでした。

 

◆ 胃ケイレンのような、体が引き裂かれるような痛さ。毛穴からブツブツと血が吹き出ては全身に溢れ、それが止まると、造血剤のような ヌルヌルしたものを、血管注射で打たれます。ある時は間違って コバルトグリーンポール というものを皮下に打たれ、それが腐って 穴がたちましたが、先方が悪いとは絶対に云いません。まるでモルモットでありました。 


 夜は犬が遠吠えをして心細く、看護婦さんが本をもってきては、枕元で読んで聞かせ、自分を寝かせつけてから休んでおりました。
 意識不明になると酸素があてがわれて、頬を叩かれ、 
 「安倍さん頑張れよ 自分たちも頑張るからな」・「今奥さんが山田から子供を連れて来るぞ」
 危篤の知らせに、乳飲み子は背に結わえ、急ぎ駆けつけて、哀れな姿の夫が横たわるベッドに取りすがり、上の子の、いまだ紅葉のような小さな手を、夫婦の手と手でしっかり挟んで、今こそ最後の別れとばかりに、
 「おとうちゃんだよ、これがあんたのおとおちゃんだよ」と 泣き叫ぶ妻の姿に、看護婦さんたちも貰い泣きをしたことでございました。

 

◆ いよいよ目からも瀧のように、ダラダラと出血し、その古血が残って化膿しました。お医者様は
「目玉を取ってから義眼をいれると窪むから固まってから入れよう」
 と言いましたが、「いや 臭くて臭くて、痛くて痛くて」1日中男泣きに泣きました。そしてとうとう S54・7完全に両目の光を失ってしまったのであります。(44歳位の時のことでした)


 目玉を取ってからも県立宮古病院・盛岡の医大・日赤に通います。40歳を過ぎて急に訪れた暗闇の世界、案内人を伴う余裕とてなく。道なき道を 手探りで歩かざるを得ません。行き交う人や自転車・看板等にぶつかり、いろんな人に迷惑をかけては、人もいない、あらぬ方向を向いて、頭を下げ下げ、謝って歩きました。勿論、体には生傷が絶えません。

 

◆ 妻が腎臓かっけで母乳をやれないときも、本来ならば働き盛りの男が、当時360円の粉ミルクさえも買えませんでした。そんな時も年老いた父は黙って働きミルクを買って育ててくれました。
 病院代にも困り、とうとう家屋敷を手放すことになります。事務長が「安倍さん」
といって毎晩請求に来ます。隣のベッドのおやじさんが 
「金が無いから払えないんだろ情けが無いのか」
と言ってくれたので、今度は家に請求に行ったのでしょう。

 

父は、「パチンコでさえ財産をなくす人もある。俺はお前を助けるために手放すんだ。間借りをすると家賃に困るから」

と、15坪だけ屋敷を残して、傾いた小さな家に住んでいました。自分がこうなってしまって妻にも子供にも、皆に苦労をかけてしまったことがとっても申し訳ない思いでした。
「助けてください、助けてください」ずっーと蹲(うづくま)り消え入るように祈って暮らす日々で御座いました。 

 

◆「見えぬ手で つくりし鉢に 紅梅の 薫る部屋にて 独人耐え居る


 このころ、暗闇のどん底に喘ぐ、安倍さんをかいま見た、福祉の沢田チヤさんの詩。


 人は相手にしてくれなくても、植物は人を嫌いませんでした。
 S26~7年から盆栽を始め、多いときは1500鉢・S35に産経新聞社が取材に来た時は800。さつきの苗木から始めて、松 雑木・草花。大作大物盆栽。


 S45 目が見えなくなって来て、「小品盆栽にしたら」と言われて始めたところ、全盲者のモノとは思えない見事な風格の作品を、一目見ようと全国各地から人が訪れて来るようになりました。
 S46 釜石で日本盆栽協会支部会員の認証式があり、釜石・大槌・山田で結成して入会し、その時称賛され、仙台市での東北大会に出品する程に小康を得て参りました。

 

◆ 長年病院生活をし、不治の病から救われ嬉しかったお礼という気持ちで、S50からは、八幡神社や町内のお寺さんに植木を寄進し続けてきました。
 法華さんにもと思っていたところ 、住職の友人を通じて話がまとまり、H3からさつき、梅・桜・白花の萩・紗ドーダンつつじ・臥竜梅・金銀木犀・草花など、本格的な銘木ばかり沢山お山に植えて戴いたのであります。


 やがて、この倶生霊神符(お守り)も家族で受け、H8/11「今度 清道衆講習会で、新間先生のお話がある」と聞けば、 食事やトイレの心配も仲間の人が手をかしてくれて、有り難く拝聴し、そして
「ああ このお寺様に来て、お祖師様に お題目を唱えるということは、死んでしまったあの優しかった父と母に会いにくることなんだな 」と、自分なりに悟ったことであります。

 

◆ 「南無妙法蓮華経 ! 南無妙法蓮華経 !
 こうして、無邪気なお題目が本堂にこだますることとなったのであります。H9/4/28の春の大祭では、安倍さんの一際大きなお題目が印象的でありました。
  何も難しいことは分からない、安倍さんの但信口唱のお題目は、ストレートに日蓮大聖人のみ心に叶っていました。安倍さんは夢で日蓮大聖人様に面奉したのです。

 

 太平洋の水平線を昇る、深紅の大きな太陽(こどもの頃、イカ釣りを手伝いに行った時に、船で見たものと同じだった)は火柱となるや、南無妙法蓮華経の髭題目に変わり、今度はそれが、わらじ履きで、右手に尺丈を持ち、大数珠を首に掛け、太い眉毛で、頭には白髪交じりの初老の日蓮聖人となり、安倍さんの前にお立ちになって、ニッコリとほほ笑んで下さいました。


 2日後にまた夢を見ました。住職と2人で道を歩いていると、鉄で出来た大きな門があり、住職が押すと訳けなく開きます。恐る恐る入って見ると、明るい世界と、暗くじめじめしたコールタールのような、重くて臭い ネバネバした、一時もそこには居れないような世界。

 明るい方は、軽やかで 爽やかに彩られた 花から花へ、透明な蝶々が ふわりふわり と 遊んでいる、 何とも言えない あまーい空気のする 世界でした。

「安倍さん、いつまでもここにはおれないから、もう帰ろう」とお上人が言ったので帰って来た。との報告。

 

◆ H9/7/13 日本晴れの日曜日 善慶寺のレクレーション・大型バスで岩手山登山。翌年からは、あの騒ぎで近付くことも出来ませんが・・ 住職が7合目から携帯電話をお寺にいれると、安倍さんが急に霊界に旅立ったとの知らせ、
 「たとえ葬儀は他宗であろうとも、あなたの死後の旅立ちは、この日蓮が引き受けたから安心しなさい」
と、お祖師様がシグナルを送って下さっての夢であったと、改めて確信を深めました。

 

◆ お気づきのように、大聖人様は太陽の子・日輪の日なのです。そして題目の髭は寿量ご本仏様の功徳に溢れた霊光を意味していますし、身延山に在します大聖人様のお墓をご存知でしょうか、そのお墓には何と刻まれています、「日蓮の墓」ではありません。「南無妙法蓮華経」であります。「日蓮が魂は南無妙法蓮華経に過ぎたるはなし」でイコールなのです。また、それは大聖人だけではなく、私たちもそうなのだとお示しで御座います。


 安倍さんにとって、人生のきわまではありましたが、このような有り難い霊夢により、心の闇を晴らし、真(まこと)の仏道に縁を持てたことは、この方の御霊(みたま)の長い長い悠久の旅路に、大きな光明となり、真(しん)の安心を得られたことと、私もかかわった者として安堵いたしております。


 これからは、いつもお花の季節になると、安倍さんがお寺の上空から眺めていることでしょう。また見る人の心にお山のお題目・日蓮聖人様と共に、永遠に安倍さんが生き通して行くのです。

上・下 臥竜梅

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躑躅(つつじ)

◆ 1253 建長5年4月28日の明け方・今の千葉県安房郡清澄山頂・旭が森から、日蓮大聖人がおひとりで御題目を唱えになり、太平洋上に昇る旭日遙拝の儀式。これは、仏留め置きたもう 妙薬の五字七字を、この国に広め、 世界平和の基地造りを、この日本国に興すという宣言でありました。

 

◆ 仏教には・釈迦仏教(慧解脱)日蓮仏教(信解脱)しかありません。他は似て非なるもの。メッキかバーチャルリアリテイーであって、実仏ではありません。
 苦のない人・・いますか・・ 「何故私ばかりこんなに苦を・・」 皆そう言います。
「この幸を何に使ったら良いか」という相談事はこのお寺だけです。よそのお寺では未だかっておめにかかれない。


 苦の正体が分かって、そこから抜け出すことを解脱という。その手段として智慧を磨いていくのが慧解脱であり、この線に引っかかる人は殆どいない。99%がこぼれる。苦から逃れられない。よってまがい物がはやる。人類はその歴史だった。


 本当の仏は釈尊の他にはありません。その御心は法華経に留められ、末法に入って上行菩薩がこの世に生まれて、法華経の中から妙薬を拾い出して、迷える衆生に授け救う。という法華経の預言を実践してくださったのが、日蓮大聖人でありました。

 

 これは仏願仏業を果たす・起業・
 信解脱とは 例えば JRが開発した 夢の超特急の安全性と快適さを信じて乗り込むこと。苦心に苦心を重ねた研究陣と全く同じ恩恵に預かれますよね。どのような仕組みで走っているのかなど考えて乗ってる人はあまり無い・・同業者か落語家くらいなもの ・・(ネタにするので) 。皆同じ時間に着きます。信じないで乗れない人は歩く他ありません。

 

「初めは日蓮一人唱えしが・・二人三人続けよかし・・」
 日蓮聖人に繋がる御題目は、「行者が破ろうとしても、御題目の方が破らない。必ず仏の目的を果たす力がこもっています。」これは つたない私が唱えているのではない、実仏である 御題目 が私の体を使って唱えて居られるのだ、ということであります。


 実際に光を無くし、生きる力もなくした安倍さんではありましたが、あの様に、現世安穏・後生善処を保証して下さるという事実を以て、日蓮仏教の空しからざることを信じ抜かねば成りません。

 

◆最近の世界のルールは拝金主義です。皆、山羊にでもなるところでしょうか。我が国も教育改革が頓挫しています。知識の詰め込み以前に、情緒の安定がその基礎として必要なのです。

 

 25歳の若い夫婦が、4歳の幼気ない娘の前で、他の異性に走るべく別れ話をし、
「相談なんだよね,相談なんだよね・・」
と、心配をさせている。全くデリカシーのない話ですが、かといってこの2人は悪人でもない、つまり幼稚なのです。物が溢れ心が闇に覆われているという、まことに憂うべき事態を迎えています。


 また、21世紀は、本質の時代とも言われています。本仏・本法・本師・本化・本国土が顕れてくるということです。本来のこの日本国には、世界平和実現の為の基地となる使命があるのです。

 

 既に750年前、日蓮大聖人はこのことを見通され、道をつけて残して置いて下さっていたのです。その為の立教開宗だったのです。この意義をご住職とよくよく吟味されまして、来る立教開宗750慶讃年には、日蓮大聖人の御心に叶う地湧の菩薩の一分として、ご住職を助け、御題目を唱える同志の更に溢れんことをご祈念して結びと致します。
・御清聴ありがとう御座いました。
・お題目三唱

法話一覧

法話一覧

1). 父の祈り

2). 法華思想に近づく現代物理科学

3). コピー文化

4).白粉の力

 

法話-1  父の祈り

法話-1 父の祈り   

岩手県布教師会長 善慶寺住職 三浦恵伸

 

・ 夕暮れて明かりを灯そうとして居たときに、歳の頃は60半ばの上品なご婦人が息せききって、訪ねて参りました。

 「70歳を過ぎた夫が、肝臓を患い近くの3ヶ所の大きな病院にも、もうこれ以上手の尽くしようはありませんから、家に連れて帰り、好きなことをさせてあげて下さい、と見放されて、今床に臥せっております。黄疸で皮膚も土色痩せこけてよもや助かるものとは私も思ってもおりません。しかし、不思議な夢を2度もみたのです。このところ箸も付けはしないのですが、夫の夕餉のお膳を枕元に整え、取るものもとりあえず走って参りました。」

 

 「紫の衣に赤い袈裟を召した大きな日蓮様のお姿なのです。どこのお寺さんなのかわかりませんが。」

 「不思議なことです。とにかく旦那様の状況を調べてみましょう」

医療は手詰まりでしょう。お医者さんのおっしゃることは間違っては居ないようです。でも奥さんの夢はお題目に縋れ! とお祖師様がおっしゃっているように感じますのでご祈願をしてみませんか。」 

 「家は代々の曹洞宗なので、朝、夫がまだ眠って居る時間でよければお願いします。」

 

  明くる日から3週間の朝参り、私と共に1時間のお題目修行が始まりました。7日目には食事が喉を通る、27日目には疲れが出始め、うとうとしている妻に

 「オイ、お前そろそろ出掛ける時間じゃないのか?」

と夫の掛け声。心が通って足取りも軽く、帰らぬはずの夫の手を取り、共に坂道を越えて、満願の朝参りに向かう老夫婦の姿がありました。

 

 命を掛けてのお題目の不思議に、江戸時代の名主として続く家柄、妻も御詠歌を通じてお寺の奥様に信頼を受けている立場も捨てて、法華信仰に転ずることとなりました。

 

・ よく話を聞くと、妻の実家は熱心な法華の檀家。実は学校に入る前から父と共に寒修行に歩いていたのでした。しかし、19歳で嫁いでからというもの、法華寺とはすっかり縁が切れてしまい50年が経っておりました。嫁の立場として家の念佛に精を出して来たのです。でも右脇の火鉢の灰にそっとお線香を立て、声をころして「南無妙法蓮華経」と三遍唱える毎日でした。

 

・ 朝参りが始まって7日目の朝方、今度は夫が夢を見ました。

 実は昨年の正月、42歳になったばかりの長男が急死し、まだその悲しみの渕からはい上がっていない老夫婦だったのです。その長男が、最後に着せてやった死に装束の姿で、父・自分と一緒に大きな太鼓橋を渡って行き、真ん中まで来たとき、

「俺はここから1人で行く、もう大丈夫だ。親爺はお袋の所に帰ってくれ」

「そうか、じゃ父さんは帰るぞ」

と言ってそこで2人は別れをし、最愛の息子は向こう岸へ渡って行きました。見届けて自分は踵を返してこちらへ帰って来ると同時に食欲が出てきたのでありました。

 

・ 3週目には2人で朝参りをし、お茶の一時、法の話も素直に受け入れ、法華さんになったのですが。奥さんの喜びは、我が身を飾り、自分の口にさえはいれば人のことなどおかまいなしだった飲ん兵衛の夫が、人に何かを上げたいなどというようになったことでした。

 

 娘さんが嫁ぎ先から海産物をもって来てくれます。まだよろよろした身体で

「これをお上人さんに持って行くんだ」

といって、袋に入れさせたんですよ。

と、自分の事のように嬉しそうに話しておられました。

 

・ 夢に現れたお祖師様は間違いなく、実家の菩提寺にまします日蓮聖人! 遠野物語で有名な街で、智恩寺のお祖師様は大きく、夢に出現されたそのままのお姿。子供は忘れていても、父と共に太鼓を叩いてお題目修行をする娘の行く末をしっかりと見届け、苦悩から救い上げて下さる大聖人のお慈悲。それは、時と場所を超えて応現してまいります。こうして更に8ヶ年の寿命を賜り往生をしたことでございます。

 

・親の命は儚いもの、しかし、法華経の守りは永遠であることを知って、東北の極寒の地を紅葉の手を凍らせてまで、娘の心田にお題目の種を宿そうとしてくださった父の祈り。その心に感応して50年の年月と、幾山超えての生活であれ、必ず見届けて戴き、ご守護下さるお祖師様の大慈悲。そして、その約束を果たすお題目の力。

 

・ やはり仏様のお言葉は実にして虚しからずではありませんか。

私共も更に信心に励み、世の人々と真の喜びを増幅し分かち合って参りたいものでございます。

ひと口説法-1 掲載-1 宗教革命(日蓮宗新聞)

ひと口説法-1 掲載 宗教革命 (日蓮宗新聞)

 

 米国のビル・ゲイツ氏は、ウインドウズを開発し、パソコン革命に成功しました。アイコン(象徴)をクリックするだけで、ソフトが立ち上がり、誰でも簡単に仕事が出来ます。

 

 釈迦仏教は、天台大師の慧解脱門によって、成仏の可能性(一念三千)を示しましたが、その修行法は余りにも難儀で普及性がありませんでした。

 

 日蓮聖人は、三大秘密の法(信解脱門)を開発され、成仏の見本・本門寿量仏の本尊を、一幅の大曼陀羅に御図顕。身延山で本化教団の礎を築かれました。

 

 それは、凡夫も妙法蓮華経のスイッチをオン(南無)するだけで、御本仏と霊通し、生命本来の仕事が起動する、「宗教革命」でした。

 

 私達門下は、お祖師様の一大構想に遵い、御題目(象徴)を中心に、自然も文化も一大調和された国家の見本を示す・日本建国の核心なのです。

 

岩手県布教師会長・善慶寺住職・三浦恵伸 

H20,11,10掲載

日蓮仏教

2016年5月10日

世界平和・実現の基地・立正安国・日本 

の愚考を簡略に述べます。

 

・日蓮聖人のご人格(霊格)は、法華経に示された壽量御本仏の勅使(ちょくし)、本化上行菩薩身であること。

・上行菩薩は、本法・南無妙法蓮華経を以て大衆を救済すること。

・南無妙法蓮華経とは、大衆の本質である仏性を開く妙薬で、功徳があること。

・社会構成員の大衆が、本質の仏子として成長し活動をすれば、その社会は浄土相をもたらすことです。

 

(祖師の絵画 身延山 久遠寺 蔵) 

 

 日蓮聖人の個人的な人生のテーマは、承久の乱に於ける、帝側敗北の真因究明にあったと思われます。

 

 その命題を胸にしての求道でした。ですから、聖人の結論は理想に逃げるのでは無く、極めて現実的なのです。

 

1222承久4年(貞応元年)2月16日、今の鴨川市小湊で善日麿としてご降誕。

1233天福元年12月 (聖寿12歳)清澄山にて諸仏房道善に入門されます。

1237嘉禎3年10月8日(聖寿16歳)受戒。蓮長と号されます。

聖寿17~20歳まで、当時の首都鎌倉へご遊学。

聖寿21~32歳まで、当時の最高学府・比叡山延暦寺を始め、近畿の諸大寺などへご遊学。

 

 この間、「故のそうらいけるなり、狐疑の氷溶けぬ」と永年の命題は溶解したと思われます。

1253建長5年4月28日(聖寿32歳)故郷の清澄山で、立教開宗されます。

 

儀式は、お1人で太平洋上昇り来る旭日に向い、お題目を声高々にお唱えになったと言われています。

 期待をして集合した、師匠や同輩、知古、少々の人々に、法華経の法門を説かれるや、地頭・東条影信によって、即座に処を追われ、後々までも執拗に狙われます。

 

日蓮聖人のお名前は、

妙法蓮華経 如来神力品第 21

如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇

「日月の光明が、よく諸々の暗を除くように、この人世間に行じて、よく衆生の闇を滅する」

 

妙法蓮華経 従事涌出品 第15   

不染世間法   如蓮華在水

「汚泥の娑婆に 美しい人生の華果を稔らせよう」

から、聖人がご自身で撰名されたと御書に記してあります。

 

 御本仏の慈悲は、その真理を説くだけでは終わらず、末代の大衆を救済する勅使(ちょくし)を、派遣すると預言します。

 

 妙法蓮華経 如来神力品第21に示される、上行菩薩等の四大菩薩をリーダーとする、御本仏直属の使い、本化の菩薩達です。

 

 霊化®社会の図で示すように、自然界の四大系を暗示しています。私たちの身体はこの四大・地水火風の化合物であり、三仏(空)の生命システムによって営まれているというのです。

 現代科学はそのことを、更に細密な素粒子に捉えています。

 

 お釈迦様の身体と、私たちの肉体と、大自然は一体だと認識したのです。

 

 そのシステムですが、未来科学は更に深化するでしょう。このまま行けば、宗教界よりも先に、科学が推進するかもしれません。

 

 鎌倉時代この日本国に、神力品に預言された仏使として、生きられた日蓮聖人の偉業を再確認し、人類世界が破滅する前に、遺業を再起動しなければなりません。

 

最近の日本国土の様子は、鎌倉期のそれと酷似しています。

 

・話は元に戻り、

日蓮聖人は、災難を払う方途を再考し、静岡の実相寺に籠もり、一切経から論文「立正安国論」を認められ、鎌倉幕府に提出されました。そのことが仇となり、数々のご法難となりました。

 

下 写真  立正安国論の建白と、ご法難の数々。

鎌倉・松葉ガ谷のご草庵焼き討ち。伊豆流罪。

下の絵は、開宗以後、

聖寿34歳の文永元年11月11日、故郷にご生母を見舞われた時、執拗に聖人を追っていた、東条影信の襲撃を受け、弟子檀那が殺され、ご自身も眉間に刀傷を負われた、小松原法難です。

幕府に捕らわれ、八幡社頭で、源氏の守護神、八幡様を諫暁されたということです。

「この國を救わんとして、ご本仏との約束を果たし、法華経・お題目を弘めるだけの日蓮を罪人として扱う所行。八幡あなたも虚空会上、仏前の誓願を見ていただろう、このまま見過ごすことは無いと思うが如何?」

幕府の警視総監・平の左右衛門は、夜陰に乗じて、龍ノ口で斬首しようと謀りました。しかし、江ノ島の方より、光り物が飛来。果たせなかったようです。

「この人を殺めてはならない」との幕府の指示通り、生きて帰った人の無いという、佐渡流罪となりました。

 

佐渡島では、配所の周囲に見張りが立ち、餓死させるつもりだっ たと思われます。

 

 「偽の御教書を申し下して ~ 佐渡国へ渡して仇をなす。~ 日蓮が居たるあたりに夜も昼も立そいて、通う人を強にあやまたんとすれば ~ 何れ問うべき人一人も無し。」

 「天の御計にてや候けん、阿仏房の日蓮を扶持せし事は ~」

と、波木井殿御書に述懐されていますが、

 

阿仏房は元北面の武士で、承久の乱で佐渡流罪になった順徳上皇に対し、崩御の後も佐渡に留まり、永年お念仏で菩提を弔った、聖人の敵の筈です。

 

しかし、一転して四面楚歌の中を、命がけで聖人を衛護する立場になった事には、深い因縁があると思われます。

 

後鳥羽帝と祖師が親子であれば、順徳帝も肉親。阿仏坊にとっては、掛け替えの無いお方になるのです。

 

・法華経は仏身の三面観を立てます。

概略ですが、以下のように考えます。

 

 法身仏(ほっしんぶつ)・自然科学のフィールド・身土不二・身体生命の素は星屑からが、人の一滴の血液の分析(フランスの研究所)から証明されました。宇宙大に 広がる身体。

 

 報身仏(ほうしんぶつ)・精神(心霊)科学のフイールド・仏の智慧・仏の精神世界・法華経の世界

 

 応身仏(おうじんぶつ)・人間社会科学のフィールド・仏の振る舞いに理想を見る・一切経が仏の活動を思い描いたもの。

 

そして、その三身が即一身でもあるというのです。それでこそ、円満な仏と言います。

 その仏が登場したのが妙法蓮華経でした。

 

 私たち凡夫が仏と同じと言われても、まさかと思います。日蓮聖人も、

 

 「十界互具之れを立つるは、石中の火、木中の花、信じ難けれども縁に値うて出生すれば之れを信ず。人界所具の仏界は、水中の火、火中の水、最も甚だ信じ難し。・・・」観心本尊鈔

 

と述べておられます。 

 

 日蓮聖人は法華経に深く分け入り、霊界(虚空会・こくうえ)で壽量御本仏に面奉され、その仕事を引き受けられました。

 

 1253建長5年4月28日 (聖寿32歳)の立教開宗から、1271文永8年11月1日(聖寿50歳)佐渡御流罪までの18年間は、大難4ケ度、小難数知れずの法華経色読の時代で、人々から見て、なるほどこの方は法華経の行者であると、認知されることを待たれたのだと推察します。

 

 佐渡在島中、いよいよ秘蔵の法門が開顕されます。もしこのまま佐渡島で終わるならば、末代の人々から、日蓮という人は慈悲無き人と言われるであろうからと。

 

・人開顕の書・開目抄・本化上行菩薩身

 

・法開顕の書・観心本尊抄・本法・南無妙法蓮華経と法華行者の尊貴

 

・そして、浄土相を示した・大曼荼羅御本尊が図顕されます。

 

 これは、世界平和実現の設計図と言えます。私たちは日蓮聖人が意図された、平面上の設計図を読み解き、現実世界に立ち上げる仕事があるのです。

 

「一閻浮提第一の本尊を、この國に立つべし」観心本尊抄

今多くの人々が恐れているであろう、近い未来の危険を未然に防ぐためにも・・・

 

 聖人を排斥した鎌倉幕府も、最後は流罪赦免状を出して幕府に迎え、法華弘通の認可を与えて、 蒙古襲来の時期を尋ねます。法華経の行者と認知したのです。

 

しかし、国難を払う手段に就いての問訊は無く、一国同帰を期する聖人は、3回諫めたのに用いないのだから、去るべしと、甲州身延の奥沢に分け入られました。

 

9ケ年間、文筆(著書・消息)、弟子門下の教育に当たられました。途中体力の消耗は、著しいものでした。

いよいよ今の東京都池上が、ご最後の霊地となります。

 

現代に、日蓮聖人のお題目を唱える人々は、「日蓮と同意ならば皆、地涌の菩薩」であると仰せです。

その意味を深く吟味して、社会に対処しなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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