Web山 三浦寺、瑞龍山 善慶寺、瑞雲山 龍王寺世路図人生相談ヒトナビ

-ブログ-

パラダイムシフト-10 大曼荼羅御本尊

10・一閻浮提第一の大曼荼羅 本門寿量仏のご本尊

いちえんぶだい だいいちの だいまんだら 

ほんもんじゅりょうぶつの ごほんぞん

 此の事観に立場して、本化上行日蓮聖人は、その霊眼で、法華経に構想された仏界の様子を、世界平和実現の設計図として、文字式大曼荼羅にご図顕になりました。我々門下は、その意図を紐解(ひもと)き、現実相に立ち上げるのです。

 上から、世界平和の経文。中央にお題目の五字七字。左右に釈迦・多宝で三身仏。両側の脇士には、三仏の属性・地水火風の本化四大菩薩。更に向かってその左側にお題目の四句要法。右側にはその威神力。

 二段目には、社会維持に不可欠の人文社会科学・経済産業・政治・宗教・軍事・芸術・天文・通信等々が網羅されています。


 下段には、日本国守護神、この法華経文化を継承してきた先師を配置。これらの仏国土をがっちりと四方の天王がガードし、不動・愛染が梵字で表現してあります。

 因みに、薬王薬上菩薩は、医術薬方と想像出来ます。妙音菩薩は芸術? 弥勒は慈氏で宗教界を、勇施(ゆうぜ)は政治とイメージ出来ます。これは一体で表現してありますから、慈悲の籠もった政治が理想だと理解出来ます。 

 日本国や世界各国が、この基準で教育・政治・経済を回せば、浄土相・世界平和は簡単に実現するのです。日蓮聖人は、


 「如我等無異とて、釈尊同等の仏にやすやすとならん事疑無きなり」 (御講聞書)


と、仰せです。又、


 「古徳のことばにも、心地を九識にもち、修行をば六識にせよとおしへ給ふ、ことわりにもや候らん」の文を、(上野殿後家尼御前御返事)に引用されていますが、それが将に霊化®生活・霊化®社会の事でした。

 

 現代社会は、交通分野では馬車から自動車へ、照明ではローソクから電灯へ、電気は更に飛躍して家電・産業・交通・通信・天文機関等へと大きなパラダイム・シフトを遂げて来ました。


 そうして、今一度日蓮仏教の再起動に依て、究極のパラダイム・シフトが成るのです。

パラダイムシフト-9 スイッチオン・以信得入

 9・スイッチオン・以信得入

電気文化の普及は簡単なスイッチオンがキーポイントでした。霊気文化の日蓮仏教も簡単な以信代慧・以信得入がポイントです。


 そこで、スイッチオンに比した信心について、南無の三義で考えてみます。
1、南無し奉れ妙法蓮華経に
2、南無し奉る妙法蓮華経に
3、決定の南無妙法蓮華経 (けつじょう)


1は、法界に溢れる霊気の本仏から、大衆に対する哀愍救護(あいみんくご)の呼びかけ(仏所護念)であり、 
2は、凡夫が本仏に対して、救いを求める信心(いのり)となります。
3は、両者の想いがピタリと一致した、感応道交の妙で、「是人於仏道 決定無有疑」と神力品偈文の示す所です。


「読み書きの出来ない者も、信じて従えば功徳あり」(南条殿御返事趣意)
「少児を養う乳・栄養・エネルギーとなるお題目」(曽谷入道殿御返事趣意)
「日本国の一切衆生の盲目を開ける功徳あり、無間地獄の道を塞ぎぬ」                                (報恩鈔)


で、盲目(元品の無明)を開けるのは、上行所伝のお題目以外には無く、 


 「宝塔品に云く「接諸大衆皆在虚空」云云。此等の仏、菩薩、大聖等、総じて序品列坐の二界八番の雑衆等、一人ももれず此御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて本有(ほんぬ)の尊形(ぎよう)となる、是を本尊とは申すなり。」 (日女御前御返事)

と、

「その信心に依って自身の仏性が覚醒し、次いで行学の二道(信仰生活)は起こる」(諸法実相抄趣意)とお示しです。

パラダイムシフト-8 日蓮聖人の意図された、教団のシステムと目的

8.日蓮聖人の意図された、教団のシステムと目的

 このことから、本門の戒壇につて、祖書に求めると、

  
 「今経の受職潅頂(かんちよう)の人に於て二人あり、一には道(どう)、二には俗なり。道に於て復(また)二あり。一には正しき修学解了の受職、二には只信行の受職なり。俗に於ても又二あり。道に例して知んぬべし。比丘の信行は俗の修学に勝る。又比丘の信行は俗の終信に同じ。俗の修学解行は信行の比丘の始信に同ず。何を以ての故に、比丘能く悪を忍べばなり。又比丘出家の時分受職を得。俗は能く悪を忍ぶの義ありと雖も受職の義なし。故に修学解了受職の比丘は仏位に同じ、是即ち如来の使者なればなり」 (得受職人功徳法門鈔)

 

 このように、日蓮教団に於いても、電化社会と同じ役配が予想されていました。


1,弟子・お題目の霊気(人類の絶対価値)・法則の研究・システム化・霊流・「内に智慧の弟子ありて仏法の深義を悟り」 
2,檀那・霊気を霊流化し、霊光・霊力となって救済活動する。「外に清淨の檀越あって仏法久住す」
3,大衆・霊光・霊力を享受し、「資生産業 皆順正法」して、明るい生活を営み、社会は安定化して立正安国の実現を見ます。


 最早(もはや)葬式仏教は、商業に侵掠されており、宗教の真面目(しんめんもく)を再起動する時かと思われます。

 

 日蓮が弟子檀那の仕事(仏願仏業)を、もう少し検証しますと、

イ、道・修学解了の比丘 ・教団の役員・首脳陣は・司令塔の役目を果たし


ロ、道・ 信行の比丘・住職等教師は布教の尖兵として・教団の手足となって働きます

 ハ、俗・修学解行の檀徒・全国寺院組織の役員幹部としての役割を果たし

ニ、俗・ 信行の信徒・清浄の徒として生きます

 

組織には2.6.2(パレート)の法則があるようです。


 国民成人の2割(各界の指導層)が、日蓮仏教に目覚めて生命活動(本化菩薩集団)をすれば、6割がその光明と動力に靡(なび)いて、社会は健全に廻り、他の2割も余慶の功徳に預かります。

パラダイムシフト-7 血脈相承(けちみゃく そうじょう)

 7.血脈相承 (けちみゃくそうじょう)


 電気の通り道は電線で確認出来ますが、お題目・霊気の通り道は見えません。霊なる所以(ゆえん)です。しかし、日蓮聖人は確かな筋道があると、「生死(しようじ)一大事血脈鈔」にお示しです。


 「生死一大事血脈とは、所謂(いわゆる)妙法蓮華経是なり。其の故は釈迦、多宝の二仏、宝塔の中にして、上行菩薩に譲り給ひて、此の妙法蓮華経の五字、過去遠遠劫(おんのんごう)より已来(このかた)寸時も離れざる血脈なり。

(中略) 

  然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ、全く差別なしと解りて、妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。此事但だ日蓮が弟子檀那等の肝要なり。法華経を持つとは是なり。


(中略)


  過去に法華経の結縁強盛なる故に、現在に此の経を受持す。未来に仏果を成就せん事疑ひあるべからず。過去の生死、現在の生死、未来の生死、三世の生死に法華経を離れ切れざるを、法華の血脈相承とは云ふなり。

 

 謗法(ほうぼう)不信の者は「即断一切 世間仏種」とて、仏に成るべき種子を断絶するが故に、生死一大事の血脈これなきなり。

 


  総じて日蓮が弟子、檀那等、自他、彼此(ひし)の心なく水魚の思ひを成して、異体同心にして、南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべきものか。剰へ日蓮が弟子の中に異体異心の者これあれば、例せば城者として城を破るが如し。

 


  日本国の一切衆生に、法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに、還つて日蓮を種種の難に合せ、結句此の島まで流罪す。而るに貴辺日蓮に随順し、又難に値ひ給ふ事、心中思ひ遣られて痛ましく候ぞ。


 (中略)


  過去の宿縁追ひ来つて、今度日蓮が弟子と成り給ふか。釈迦、 多宝こそ御存知候らめ。「在在諸仏土 常与師倶生」よも虚事候はじ。

 

 殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり。貴し貴し、此の文委悉(いしつ)なり。能(よ)く能く心得させ給へ。只南無妙法蓮華経、釈迦、多宝、上行菩薩血脈相承と修行し給へ。


 火は焼き照らすを以て行と為し、

 水は垢穢(くえ)を浄(きよ)むるを以て行と為し、

 風は塵埃(じんない)を払ふを以て行と為し、又人畜、草木の為に魂 となるを以て行と為す。

 大地は草木を生ずるを以て行と為し、

 天は潤すを以て行と為す。

 

 妙法蓮華経の五字も又是の如し、本化地涌の利益(りやく)是れなり。

 
  上行菩薩末法今の時、此の法門を弘めんが為に御出現これあるべき由、経文には見え候へども如何が候やらん。上行菩薩出現すとやせん。出現せずとやせん。日蓮先づ粗(あらあら)弘め候なり。 

 

 相構へ相構へて強盛(ごうじよう)の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。生死一大事の血脈、此れより外に全く求む ることなかれ。

 

 煩悩即菩提、生死即涅槃(ねはん)とは是なり。信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり。」

 


と、本仏釈尊から、本化上行菩薩、その応現身日蓮聖人、そして日蓮聖人の弟子檀那へと霊流して、教団を囲む大衆を裨益((えき)するシステムです。その上、日蓮教団の使命のヒントも示されました。

 

 このように現代人が享受している電化生活のシステムと、日蓮仏教の三大秘密の法とは、構造が酷似していました。
 電化生活に親しんだ現代の法華信徒なら、三大秘密の法は信解し易く、イメージ化出来そうです。

 

 天台大師も法華弘通の肝要として、初めから理屈で押すのでは無く、先に霊験奇跡を見せてからにせよと教えています。


 「この法を説かんと欲して、先に神力を以て駭動(がいどう)するが故に、一切の自在の神力と言う。既に変通を見て、醒悟、渇仰すれば、為めに教えを説くことを得。」 (法華玄義)


 日蓮聖人の弘通は、、霊験奇跡の連続で、其の地が現在、霊蹟本山等として顕彰されています。

パラダイムシフト-6 霊化®社会のシステム

6.霊化®社会のシステム


 ここで、(観心本尊抄・報恩抄等)に示された祖意を摘示(てきじ)します。

 「事行の南無妙法蓮華経の五字、並びに本門の本尊いまだ広くこれを行ぜず。」 (観心本尊抄)


 日蓮聖人が創始されて初めて、法華経本門の思想が明らかとなったから、以後は、「四(し)皓(こう)が恵(けい)帝(てい)に侍奉(じぶ)」したように、本化の菩薩(日蓮が弟子・檀那)は、幼若の仏を衛護せよ。そうして、


 「此の時地涌千界出現して本門の脇(わき)士(じ)と為りて、一閻浮提(いちえんぶだい)第一の本尊をこの国に立つべし」 (観心本尊抄)

 

 

日蓮仏教【三大秘密の法】


で、娑婆即寂光土・世界平和を実現せよ。と仰せです。


 御義口伝(おんぎくでん)・寿量品廿七箇の大事・第一に
 「御義口伝に云く、此の品の題目は、日蓮が身に当る大事なり。神力品の付属是なり。如来とは釈尊、総じては十方三世の諸仏なり。別しては本地無作の三身 なり。今日蓮等の類ひの意は、総じては如来とは一切衆生なり。別しては日蓮の弟子檀那なり。されば無作の三身とは、末法の法華経の行者なり。無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり。寿量品の事の三大事とは是なり。」


と説示されています。

パラダイムシフト-5 電化社会のシステム

「電化から霊化®社会へ」  

 5)  電化社会のシステム

  ここで、電化生活の担い手である、電力会社と電気機器メーカーを例に見てみましょう。

 

 先人が自然界から電気を取り出すことに成功するや、20世紀は電気文化が花開きました。それは、次の次第に依ります。

 

  電気工学は、仕掛けをして自然界からエネルギーを貰い、発電・送電・変電し、電気機器にエネルギーを送り、照明・動力源となり、現代人の電化生活を実現しています。

 消費者は、電気の詳しい知識は無くとも、信じてスイッチオンするだけです。

 

1.電力会社は、電気・法則の研究・システム化・電気を供給して、電気料金を徴収

2.電気機器メーカーは、電化製品を製造。付随して流通販売し、電光・電力を普及して、物品代金を徴収

3.大衆(消費者)は、照明・動力等を享受して使用料等を支払い、よって、電気・電流と電光・電力で、明るい文化生活は成り立っています。

 

 

 ここで、電気機器販売について、もう少し検証しますと、

電気機器メーカーは、製品の研究開発・製品製造販売を担います。

イ、会社役員・首脳陣は・司令塔の役目を果たし

ロ、会社員・従業員は・手足となって働きます

流通部門(嘗ては全国に各メーカーの系列販売店網が在りました。今は大量販売店が価格を左右しています)

ハ、流通販売会社役員・首脳陣は・司令塔の役目を果たし

ニ、流通販売会社社員・従業員は・手足となって働きます 

と、四つの役配が認められます。

 

 因みに、文化生活のキーワードは、簡単・便利・早い・安い・安全・確実・平等などが考えられ、この枠からはずれると、市場から退場させられます。それは、難儀・不便・遅い・高い・危険・不確実・不平等と言えます

パラダイムシフト-4 四徳波羅蜜多

4)  四徳波羅蜜多

 

 『釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名づけたてまつる。その仏の住処を常寂光と名づく。常波羅蜜に摂成せられたるところ、我波羅蜜に安立せられたるところ、浄波羅蜜の有相を滅せるところ、楽波羅蜜の身心の相に住せざるところ。』

                            (仏説観普賢菩薩行法経)

と、仏の世界を四徳波羅蜜多の成就した処と言います。私達は葬儀の時に「四徳波羅蜜現在前して、三身円満の大果を成ぜんことを」と廻向しています。これは生前にこそ僧俗で意識的に取り組むべきことですが、人類史を眺めると、図らずもこの線で発展して来ています。

 

常波羅蜜・常住不滅の生命

楽波羅蜜・無苦安楽の生活

我波羅蜜・自主自由の立場

浄波羅蜜・清浄平安の楽土

 

を、皆が希求して生きているからです。車社会も電化生活も飛躍的に進化して、楽波羅蜜は長足の進化を遂げています。

 しかし、我・浄の波羅蜜は遅れていて社会は暗澹としています。これには別次元の、光明や動力源が必要なのです。人心の明るさ、自利・利他の行動力が、最も大事です。しかも令和の今、緊急事態ではないでしょうか。

 

(三大秘法稟承事)に於ける、

 「この法門は義理を案じて義を詳らかにせよ」

 

と言う日蓮聖人の御教示に従い、三大秘密の法とよく似たシステムと思われる、電気文化に依る電化生活・電化®社会と比較してみました。

パラダイムシフト-3 日蓮仏教は 三大秘密の宗教

 3)  日蓮仏教は三大秘密の宗教

 「一身即三身なるを名づけて秘となし、三身即一身なるを名づけて密と為す、又昔説かざる所を名づけて秘となし、唯だ仏のみ自ら知るを名づけて密と為す。仏三世に於いて等しく三身あり、諸経の中に於いて之を秘して伝えず」

(天台大師・法華文句)と、秘密の説明がされています。

 

 「此法華経には我等が身をば法身如来、我等が心をば報身如来、我等がふるまひ(振舞)をば応身如来と説かれて候へば、此経の一句、一偈を持ち、信ずる人は皆此功徳をそなへ(備)候。南無妙法蓮華経と申すは是一句、一偈にて候。然れども同一句の中には肝心にて候」   (妙法尼御前御返事)

と煎じ詰め、日蓮仏教は、

 「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」   (観心本尊抄)

に結論されました。

 

 つまり、法華経(一切経)の肝心を一大秘密の法・妙法蓮華経の五字と受け取り、更に、未だ覚らざる仏子(凡夫)をして、如何に開悟・成仏を見るかが、(報恩鈔等)に示された、

 「天台・伝教等未弘の正法。三大秘密の法・南無妙法蓮華経の七字」で、これが法華経の肝要でした。

 

・本門の本尊・上行日蓮聖人奠定の大曼荼羅本門壽量仏之御本尊

・本門の戒壇・右御本尊の事相建立国、日本   

・本門の題目・凡夫を仏に変化させる不思議な力。霊光・霊力の南無妙法蓮華経

 

 「法華経と申すは、一切衆生を仏になす秘術まします御經なり」 (法蓮抄)です。

 

 これは、名の如く秘密故に掴みにくい宗教からか、殊に本門の戒壇については、目下関心が薄くなっていますが、私共が一闡提(無関心)に陥っては大変です。

パラダイムシフト-2 蓮生桜滅の美しいご生涯 日蓮聖人

2)  蓮生桜滅の美しい御生涯 日蓮聖人

 16歳で出家・修行研鑽。3/3の仏を悟って32歳で立教開宗。首都鎌倉の街頭で布教を展開。当時の宗教界は大衆に1/3の仏を本尊として崇めさせる支離滅裂状態。

 社会状況は、巨大地震・疫病・内乱・2度の外寇・政治の末期症状と、今と似ていました。

 多くが、現世に希望を無くし、せめてあの世では救われようと、理想だけの阿弥陀様に、命も金品も捧げました。アニメのヒーローを真に受けて、入れあげるという滑稽な姿でした。

 日蓮聖人は、大衆の人生を意義あらしめる為、真実を伝道されましたが、良薬口に苦しで、社会の反発に遭い、ご苦難の連続でした。

 初期、僅か1%残った弟子・信徒によって、770年の歴史を紡いできたのです。ところが、大自然界だけはこの聖者の活動を称えました。 

 

千葉県房州小湊の浦でご誕生の時は、蓮の花が祝福。東京池上の地でご臨終の砌は、時ならぬ桜の花が開いて、聖者の有終の美を飾ったと伝えられています。

 

パラダイムシフト-1.三位一体の価値

日蓮仏教がもたらす究極の パラダイムシフト 

電化から霊化®社会へ

日蓮宗別格本山 妙顕寺 加歴第48世

三浦恵伸:著

1) 三位一体の価値 

仏の価値

 

上の表は、物事は三者が揃って価値があることです。

 

 現代は車社会ですが、絵やプラモデルの車には乗れません。又、そこに車が在っても、動かなければ粗大ゴミです。美しい走りが大事で、事故で大破した車は醜態です。運転者の品格と技量の証差です。

 パソコンも優れたハードに、秀でたソフトが入り、高い技能者がキーボードを叩いて、その価値が発揮されます。

 人間も赤ちゃんの誕生を喜びますが、社会に仇なす人になることもあります。健全な肉体に健全な精神が宿り、美しい人生の華が咲きます。

 

 実は「仏の価値も三位一体」が、法華経・日蓮聖人のスタンスです。

 

 「総の三諦とは譬へば珠(中)と光(空)と宝(仮)との此三諦あるに由て如意宝珠と云ふが如し。故に総の三諦に譬ふ。若し亦珠の三徳を別別に取り放てば何の用にも叶ふ可からず。

 隔別の方便教宗宗も亦是の如し。珠をば法身に譬へ、光をば報身に譬へ、宝をば応身に譬ふ。此の総の三徳を分別して宗を立つるを不足と嫌ふなり、之を丸して一と為すを総の三諦と云ふ。此の総の三諦は三身即一の本覚の如来なり。 (三世諸仏総勘文教相廃立)

 

 と、仏の1/3の価値を示した、報身仏の代表である阿弥陀仏を、全き仏として本尊に恃む事の非を咎められ、本尊は3/3の価値を有した、完全円満仏の三身即一の本覚の如来でなければならないと、日蓮聖人は断案されたのです。

上に戻る