法話-1 父の祈り
岩手県布教師会長 善慶寺住職 三浦恵伸
・ 夕暮れて明かりを灯そうとして居たときに、歳の頃は60半ばの上品なご婦人が息せききって、訪ねて参りました。
「70歳を過ぎた夫が、肝臓を患い近くの3ヶ所の大きな病院にも、もうこれ以上手の尽くしようはありませんから、家に連れて帰り、好きなことをさせてあげて下さい、と見放されて、今床に臥せっております。黄疸で皮膚も土色痩せこけてよもや助かるものとは私も思ってもおりません。しかし、不思議な夢を2度もみたのです。このところ箸も付けはしないのですが、夫の夕餉のお膳を枕元に整え、取るものもとりあえず走って参りました。」
「紫の衣に赤い袈裟を召した大きな日蓮様のお姿なのです。どこのお寺さんなのかわかりませんが。」
「不思議なことです。とにかく旦那様の状況を調べてみましょう」
医療は手詰まりでしょう。お医者さんのおっしゃることは間違っては居ないようです。でも奥さんの夢はお題目に縋れ! とお祖師様がおっしゃっているように感じますのでご祈願をしてみませんか。」
「家は代々の曹洞宗なので、朝、夫がまだ眠って居る時間でよければお願いします。」
明くる日から3週間の朝参り、私と共に1時間のお題目修行が始まりました。7日目には食事が喉を通る、27日目には疲れが出始め、うとうとしている妻に
「オイ、お前そろそろ出掛ける時間じゃないのか?」
と夫の掛け声。心が通って足取りも軽く、帰らぬはずの夫の手を取り、共に坂道を越えて、満願の朝参りに向かう老夫婦の姿がありました。
命を掛けてのお題目の不思議に、江戸時代の名主として続く家柄、妻も御詠歌を通じてお寺の奥様に信頼を受けている立場も捨てて、法華信仰に転ずることとなりました。
・ よく話を聞くと、妻の実家は熱心な法華の檀家。実は学校に入る前から父と共に寒修行に歩いていたのでした。しかし、19歳で嫁いでからというもの、法華寺とはすっかり縁が切れてしまい50年が経っておりました。嫁の立場として家の念佛に精を出して来たのです。でも右脇の火鉢の灰にそっとお線香を立て、声をころして「南無妙法蓮華経」と三遍唱える毎日でした。
・ 朝参りが始まって7日目の朝方、今度は夫が夢を見ました。
実は昨年の正月、42歳になったばかりの長男が急死し、まだその悲しみの渕からはい上がっていない老夫婦だったのです。その長男が、最後に着せてやった死に装束の姿で、父・自分と一緒に大きな太鼓橋を渡って行き、真ん中まで来たとき、
「俺はここから1人で行く、もう大丈夫だ。親爺はお袋の所に帰ってくれ」
「そうか、じゃ父さんは帰るぞ」
と言ってそこで2人は別れをし、最愛の息子は向こう岸へ渡って行きました。見届けて自分は踵を返してこちらへ帰って来ると同時に食欲が出てきたのでありました。
・ 3週目には2人で朝参りをし、お茶の一時、法の話も素直に受け入れ、法華さんになったのですが。奥さんの喜びは、我が身を飾り、自分の口にさえはいれば人のことなどおかまいなしだった飲ん兵衛の夫が、人に何かを上げたいなどというようになったことでした。
娘さんが嫁ぎ先から海産物をもって来てくれます。まだよろよろした身体で
「これをお上人さんに持って行くんだ」
といって、袋に入れさせたんですよ。
と、自分の事のように嬉しそうに話しておられました。
・ 夢に現れたお祖師様は間違いなく、実家の菩提寺にまします日蓮聖人! 遠野物語で有名な街で、智恩寺のお祖師様は大きく、夢に出現されたそのままのお姿。子供は忘れていても、父と共に太鼓を叩いてお題目修行をする娘の行く末をしっかりと見届け、苦悩から救い上げて下さる大聖人のお慈悲。それは、時と場所を超えて応現してまいります。こうして更に8ヶ年の寿命を賜り往生をしたことでございます。
・親の命は儚いもの、しかし、法華経の守りは永遠であることを知って、東北の極寒の地を紅葉の手を凍らせてまで、娘の心田にお題目の種を宿そうとしてくださった父の祈り。その心に感応して50年の年月と、幾山超えての生活であれ、必ず見届けて戴き、ご守護下さるお祖師様の大慈悲。そして、その約束を果たすお題目の力。
・ やはり仏様のお言葉は実にして虚しからずではありませんか。
私共も更に信心に励み、世の人々と真の喜びを増幅し分かち合って参りたいものでございます。