史跡慰霊-4 盛岡 衣川
盛岡市・安倍舘 此処で安倍氏は滅びました。遺児が津軽へ落ちて、安東氏になったと言われて居ます。
宗任公は捕縛され京都へ。有名な詩を詠み、都人に驚愕された由。その後讃岐に流罪。一族における九州や長州の祖となったようです。
姫は奥州・平泉・藤原の室となり、観自在王院を建立したとの事。
身延山第3世の日進上人は、安倍氏に所縁の方のようです。日持上人が大陸伝道に向かったのには、安東氏の手づるがあったのかも知れません。
衣川
安倍一族はこの地で80年間栄えました。奈良の明日香と同じで、何処を掘っても遺跡なので、むやみに建造物は出来ないようです。
初めて訪問した時に、数名で高台に聳える、国民宿舎・衣川荘に泊まりました。
(切り絵・昇天・松本寛章氏)
深夜の夢に、霊の集団がドーナツ状に、衣川荘を取り囲みました。
「長い時間、待って居たぞ」と、言っているようでした。
村に点在する安倍氏所縁の各所を、懇ろに慰霊して歩きました。