7.血脈相承 (けちみゃくそうじょう)
電気の通り道は電線で確認出来ますが、お題目・霊気の通り道は見えません。霊なる所以(ゆえん)です。しかし、日蓮聖人は確かな筋道があると、「生死(しようじ)一大事血脈鈔」にお示しです。
「生死一大事血脈とは、所謂(いわゆる)妙法蓮華経是なり。其の故は釈迦、多宝の二仏、宝塔の中にして、上行菩薩に譲り給ひて、此の妙法蓮華経の五字、過去遠遠劫(おんのんごう)より已来(このかた)寸時も離れざる血脈なり。
(中略)
然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ、全く差別なしと解りて、妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。此事但だ日蓮が弟子檀那等の肝要なり。法華経を持つとは是なり。
(中略)
過去に法華経の結縁強盛なる故に、現在に此の経を受持す。未来に仏果を成就せん事疑ひあるべからず。過去の生死、現在の生死、未来の生死、三世の生死に法華経を離れ切れざるを、法華の血脈相承とは云ふなり。
謗法(ほうぼう)不信の者は「即断一切 世間仏種」とて、仏に成るべき種子を断絶するが故に、生死一大事の血脈これなきなり。
総じて日蓮が弟子、檀那等、自他、彼此(ひし)の心なく水魚の思ひを成して、異体同心にして、南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべきものか。剰へ日蓮が弟子の中に異体異心の者これあれば、例せば城者として城を破るが如し。
日本国の一切衆生に、法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに、還つて日蓮を種種の難に合せ、結句此の島まで流罪す。而るに貴辺日蓮に随順し、又難に値ひ給ふ事、心中思ひ遣られて痛ましく候ぞ。
(中略)
過去の宿縁追ひ来つて、今度日蓮が弟子と成り給ふか。釈迦、 多宝こそ御存知候らめ。「在在諸仏土 常与師倶生」よも虚事候はじ。
殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり。貴し貴し、此の文委悉(いしつ)なり。能(よ)く能く心得させ給へ。只南無妙法蓮華経、釈迦、多宝、上行菩薩血脈相承と修行し給へ。
火は焼き照らすを以て行と為し、
水は垢穢(くえ)を浄(きよ)むるを以て行と為し、
風は塵埃(じんない)を払ふを以て行と為し、又人畜、草木の為に魂 となるを以て行と為す。
大地は草木を生ずるを以て行と為し、
天は潤すを以て行と為す。
妙法蓮華経の五字も又是の如し、本化地涌の利益(りやく)是れなり。
上行菩薩末法今の時、此の法門を弘めんが為に御出現これあるべき由、経文には見え候へども如何が候やらん。上行菩薩出現すとやせん。出現せずとやせん。日蓮先づ粗(あらあら)弘め候なり。
相構へ相構へて強盛(ごうじよう)の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。生死一大事の血脈、此れより外に全く求む ることなかれ。
煩悩即菩提、生死即涅槃(ねはん)とは是なり。信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり。」
と、本仏釈尊から、本化上行菩薩、その応現身日蓮聖人、そして日蓮聖人の弟子檀那へと霊流して、教団を囲む大衆を裨益((えき)するシステムです。その上、日蓮教団の使命のヒントも示されました。
このように現代人が享受している電化生活のシステムと、日蓮仏教の三大秘密の法とは、構造が酷似していました。
電化生活に親しんだ現代の法華信徒なら、三大秘密の法は信解し易く、イメージ化出来そうです。
天台大師も法華弘通の肝要として、初めから理屈で押すのでは無く、先に霊験奇跡を見せてからにせよと教えています。
「この法を説かんと欲して、先に神力を以て駭動(がいどう)するが故に、一切の自在の神力と言う。既に変通を見て、醒悟、渇仰すれば、為めに教えを説くことを得。」 (法華玄義)
日蓮聖人の弘通は、、霊験奇跡の連続で、其の地が現在、霊蹟本山等として顕彰されています。