日蓮仏教がもたらす究極の パラダイムシフト
電化から霊化®社会へ
日蓮宗別格本山 妙顕寺 加歴第48世
三浦恵伸:著
1) 三位一体の価値
仏の価値
上の表は、物事は三者が揃って価値があることです。
現代は車社会ですが、絵やプラモデルの車には乗れません。又、そこに車が在っても、動かなければ粗大ゴミです。美しい走りが大事で、事故で大破した車は醜態です。運転者の品格と技量の証差です。
パソコンも優れたハードに、秀でたソフトが入り、高い技能者がキーボードを叩いて、その価値が発揮されます。
人間も赤ちゃんの誕生を喜びますが、社会に仇なす人になることもあります。健全な肉体に健全な精神が宿り、美しい人生の華が咲きます。
実は「仏の価値も三位一体」が、法華経・日蓮聖人のスタンスです。
「総の三諦とは譬へば珠(中)と光(空)と宝(仮)との此三諦あるに由て如意宝珠と云ふが如し。故に総の三諦に譬ふ。若し亦珠の三徳を別別に取り放てば何の用にも叶ふ可からず。
隔別の方便教宗宗も亦是の如し。珠をば法身に譬へ、光をば報身に譬へ、宝をば応身に譬ふ。此の総の三徳を分別して宗を立つるを不足と嫌ふなり、之を丸して一と為すを総の三諦と云ふ。此の総の三諦は三身即一の本覚の如来なり。 (三世諸仏総勘文教相廃立)
と、仏の1/3の価値を示した、報身仏の代表である阿弥陀仏を、全き仏として本尊に恃む事の非を咎められ、本尊は3/3の価値を有した、完全円満仏の三身即一の本覚の如来でなければならないと、日蓮聖人は断案されたのです。